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 広島酒米のルーツ 八反草

すべての食品において原材料はその生命線です。日本酒ならばもちろん米。富久長では独自に「八反草」という米に注目し、その魅力を最大限引き出すための努力を重ねています。世界中で富久長でのみ使用される「八反草」をご紹介しましょう。

富久長の取り組む広島の地米「八反草」の栽培日記。
 富久長の「顔」 八反草
「草」と名前につくくらいなので、広島でポピュラーな植物の名前かな?などと思ってしまいますが、実はお米の品種名です。相当な酒通、米通の方でもなかなかご存じないこの品種、恐らく富久長のお酒で初めて聞いたのではないでしょうか?
 広島酒米のルーツ
八反草の稔りお酒の席などで「八反草(はったんそう)ってご存知ですか?」と尋ねてみてください。
相当な日本酒通の方でも、富久長をよく知っている方でないとご存知ないはずです。名前の覚え違いじゃないかといぶかしげな眼で見られてしまうかもしれません。
しかしそれもそのはず。なぜならば『八反草』は富久長以外のどのお蔵でも使ってませんから。ひょっとしましたら今後ほかのお蔵でも、お酒造りに使ってみたいというところが現れるかもしれませんが・・・

しかし『八反』という名前には聞き覚えのある方もいらっしゃるかと思います。広島の酒米として『八反錦』は有名でして、ほかにも『八反35号』など、八反系の酒米を用いたお酒はたくさん出回っているからです。似たような名前ということは、何らかの関係があるのではないか推察されますとおり、これら八反系酒米のルーツこそ『八反草』なのです。

酒の中に溶け込んでなお広島の大地を感じさせる八反草。グラスの中に昔の自然や人々の大らかさ、やさしさ、厳しさ、いろいろな表情を感じ取っていただけるはずです。
 途切れた歴史
八反系酒米育種の様子。一番左が八反草。広島県の酒造りの歴史は古く、天正年間(1573年)ころに遡ります。日清戦争以後、広島杜氏の里「安芸津町」の醸造家三浦仙三郎(1847−1908年)によって軟水醸造法が確立され、広島の酒は第一回全国清酒品評会の上位を独占。広島の酒が吟醸酒の元祖と呼ばれる所以です。

酒造技術に熱心な広島県ですから、その原料たる酒米にも神経を傾注するのはむしろ必然。
吟醸酒が誕生するのと同じかもう少し古く、江戸時代末期から酒米の品種改良を行なった民間育種家がいます。それが大多和柳祐(1819年−没年不明)で、翁により広島を代表する八反系のルーツである「八反草」が明治8年(1875年)に育種されました。

しかしその後『八反草』は、時代の流れに取り残されるかのように消えていきました。

時は文化文明が発展する時代。農業もだんだんと機械化が進められ、肥料も堆肥から化学肥料へ、工業化の波に呑まれて米作りにかける手間を惜しむようになります。米の品種改良も米農家の生産性を重視して行なわれ、あまりにも背丈の高い『八反草』は、その栽培の難しさから取り組む農家がいなくなっていったのでした。

広島の酒米として由緒ある『八反草』の歴史は、その子孫である『八反錦』や『八反35号』などによって引き継がれています。
しかし、富久長としましては、その子孫だけではなく、八反系酒米のルーツである幻の米『八反草』そのものと触れ合いたかったのです。手前味噌な言い方をお許しいただけるならば、『八反草』の歴史を我々が引き継いだことになります。
 蘇るいにしえの米
八反系酒米の大きさ比較。一番右が八反草。2001年の暮れに、遺伝子源の収集を行なっている(財)広島県農業ジーンバンクにその種籾が保存されていることを教わり、契約栽培農家でわずかな種籾を増やしました。そして2004年春、広島県の酒米栽培地域である高田郡農業協同組合(現安芸高田市)の協力をいただき、本格的に栽培の取組みを開始。
幸運なことにこの地域は昔から酒米栽培が盛んだったので、背丈の高い米にも戸惑うことなく育ててくださいます。むしろ、機械などを背の高い米にあわせて調整しているせいか、はたまた普段から見慣れてしまっているせいか、背の高い米のほうが慣れてて作り易いなどと言って下さいました。それでも最初のうちは『八反草』のあまりの高さに面食らったそうですが・・・

背丈の高い米、と、言葉にしてしまうと簡単のようですが、肥料や水の管理、そして台風などの被害を考え合わせますと、とても大変なことなのです。同じ広島県に、酒米の栽培に真剣に取り組んでくださる地域があったのは、思い返してみてもラッキーなことでした。

最初は一握りだった米粒もだんだんと数を増やし、玄米の様子と広島県立農業技術センターより頂いた資料とから、心白発生率の低い、高精米に耐えられる米であることも分かりました。
大粒で大きな心白というのが酒米の常識でしたが、『八反草』は粒が小さく心白の発現率も低いお米です。背丈が高いのですから、栽培特性に優れるという感じでもありません。『八反草』自体は酒造好適米として認定されていません(富久長の契約農家でしか作付けされていませんし、使用しているのが富久長だけなので、当たり前ですけれど)。
 
しかしそのような『八反草』が、広島県の誇る酒造好適米「八反35号」「八反錦1号」「八反錦2号」などの全てのルーツだというのは、非常にロマンを感じさせる存在だと思うのです。1875年に誕生し、一度は消えてなくなった幻の米。お酒を醸してみて分かったことですが、このお米には、大きな自然の力と酒造り・米作りに携わってきた人々のたゆまぬ努力が秘められているように感じます。
 酒米としての実力
八反草の玄米いくら八反草がロマンを感じさせてくれたとしても、お酒にしたときに特別な「なにか」を持っていなければ、ただの自己満足に終わってしまいます。栽培に難しく、酒造りに難しく、それでできたお酒が平凡なものだったとしたら、 「だから誰も使わなくなった」 ということを裏付けるにすぎません。

正直なところ、初めの仕込みはおっかなびっくりでした。八反錦とは似ても似つかぬ小粒で心白のない米。水に漬けてもなかなか吸水してくれない硬い米。山田錦や雄町のような吸水性のよいお米に慣れきっていたため、戸惑いは確かにありました。

しかし、短所は長所でもあります。硬い米は高精白に耐えるということですし、溶けにくいので雑味が出にくく爽快なキレ味のお酒になります。 この八反草の持ち味を活かすような麹作りや酵母の選択、醸造管理をしますと、昔のお米らしい純朴な旨みが口いっぱいに広がりながらも、飲み込んだあとには驚くほどスッキリとして後に残らないお酒ができあがりました。

昔の田園風景を思い起こさせる素朴で温かみのあるやわらかな味わいと、心地よい余韻を残しながら軽やかに喉を落ちていくキレ味を両立させてくれる米、それが八反草です。
 酒造好適米ではありません
38%と30%に精白した八反草八反草はお酒造りに素晴らしい米だと我々は考えています。
背が高く収穫量も多くないので、どうしても農家の皆様に無理を押しつけるようになってしまいますが、高値で買い取る約束の契約栽培をしてでもこの米を使い続けていきたいと思わせる魅力があるのです。

しかし八反草は酒造好適米ではありません。お米であればお酒ができますから、酒米ではあるのですが、県で奨励されるような品種ではないのです。

富久長の造る八反草のお酒が非常に注目されるようになり、多くの蔵が使い始めたりすれば、醸造適正としてはあり得るかもしれませんが、非常に硬く溶けにくい米質は決して酒造りしやすいとは呼べず、まずそのようなことはないでしょう。
栽培適正については絶望的です。何度も申し上げるようですが、八反草の草丈は本当に高く、しかも少しでも気を抜くとどんどん伸びてしまい、必ずや倒伏します。最近の小型化された稲ばかりを見てきた人には、稲だとはにわかに信じてもらえないかもしれません。

そのような米が酒造好適米として認定され、栽培を奨励されるようなことは今後もないでしょう。

しかし我々の目的はおいしいお酒を造ることであって、使うお米が酒造好適米であるかどうかはあまり意味がありません。大切なのは八反草が我々の求めるお酒に必要かどうかなのです。

ただ、栽培が難しいというのもデメリットばかりではないと考えています。
なぜなら、背の低い育てやすい米というのは、きちんと管理しなくてもそれなりにお米ができてしまうから。収穫量を多くしようとして肥料を多く撒き、タンパクの非常に多い米になってしまったとしても、曲がりなりにも普通に収穫することができます。たとえそれが酒造好適米であったとしても、果たして本当によいお米でしょうか?

八反草はその点、上手に育てても倒伏しないかハラハラするようなお米なので、いい加減な栽培をすることができません。結果的に、富久長の考えに同調し本気で米づくりに取り組んでくださるような農家さんだけとお付き合いすることができるようになるのです。
農家さんにご無理を強いる代わりに、よいお米はきちんと納得のいく価格で買い取らせていただく。栽培しにくい八反草は我々と農家の方々の絆を強くしてくれているように思われてなりません。
 高宮町で育つ
富久長が八反草に取組み始めたときからその困難な栽培に全面的に協力してくださったのが高宮町。町をあげて酒米の栽培に取り組む、とても気持ちの良い場所です。
 風光明媚な山間の町
高宮町と今田酒造の位置関係酒米の里を標榜する高宮町。当初は高田郡高宮町でしたが、現在は市町村の合併により安芸高田市の高宮町となっています。

地図をご覧いただきますとおり、富久長を醸す今田酒造は広島県の南側、瀬戸内海に面しているのに対し、高宮町は反対に広島県の北側で中国山地のほぼ中央、島根県との県境に位置します。
休日には車で田んぼを見に行くのですが、ちょうど広島県の中央部を縦断するようなかたちとなります。

広島県は一般的に温暖な地域とされており、実際今田酒造のある安芸津町は、冬でも滅多に雪が降ることのない、とても過ごしやすい場所です。夏は瀬戸内海性気候特有の夕凪があるため、暑いですけれど。
 
一方、高宮町の方は中国山地にあり、標高は最高591m(大狩山)、最低で120m(下川根)、平均240mとなっています。年平均気温11.3℃、降雨量1767mm、最高積雪40cmで「積雪寒冷地帯」に属するのだとか(高宮町のホームページより)。冬は寒いですが、夏の稲作シーズンには涼しく、自然が多く残った快適で風光明媚な高宮町。

爽快な山道はドライブをして楽しく、田んぼを見に行くのが待ち遠しくなるような山間のきれいなところです。
 酒米の里
八反草の田んぼ一面に田園風景が広がる高宮町ですが、特に力を入れて取り組んでいるのが酒米の栽培です。
普通の食用米と同じ「お米」として括られてしまいますが、実際には酒米栽培というのは、地理的な要因や農家さんが熱心なだけではなく、地域全体が一丸となって取り組んでいただく必要があります。
 
多くの酒米は、収穫して余らせてしまっても食用米として販売することはできません。なぜなら普通に炊いても美味しくないから。酒米の特徴として知られる「心白」は食用米においては評価を下げる要因にしかなりませんし、性質上粘りもなく、たまにお粥にして食べる(非常に高価なお粥になりますが・・・)くらいはよいのですが、毎日食べていたら飽きてしまうでしょう。
だからといって古米として保存しておきましても、「古米臭」というものが出てきますので酒造りにはあまり使いたくありません。
 
背丈が高いため栽培が難しく、高価ではあるけれど収量も多くないのに、必要な量だけ予測して育てなくてはいけません。その上コンバインや選別機などは酒米に見合ったものを用いなくてはならないので「一般米の”ついで”に酒米も育ててみる」ということは難しいのです。その上、乾燥させたり集荷作業を行なったりという作業においても他のお米と混ざってはいけませんので、しっかりと地域で体制を組織しなくてはなりません。

高宮町では、JAが中心となって酒米専用の育苗やカントリーエレベーターなどを設け、また技術指導なども行ない、町全体が「酒米の里」として取り組んでいます。広島県で生産される酒米の約半分が高宮町で生産されるということからも、その規模がお分かりいただけますでしょうか。
 
もちろん昼夜の温度差が大きいことなど地理的な要因も優れているのですが、それだけではなく”人”の酒米に対する真摯な姿勢が、我々が全幅の信頼ももって八反草の栽培をお任せする理由です。
 八反草を育てるひと
道免さん八反草は言わば富久長の”ロマン”なのですが、山田錦よりもまだ長く育てにくいこのお米作りを二つ返事で引き受けてくださったのが道免一致(どうめんかずむね)さんと角保雅史(かくぼまさし)さんです。

道免さんは普通ならば高齢者と呼ばれてしまいそうなお歳ですが、とてもそのようには見えない若々しい方。何軒かの農家が集まって酒米栽培のグループをつくり、たくさんの田んぼの面倒を見ています。先頭に立って他の農家さんや後進の面倒を見るエネルギッシュなリーダーですね。角保さん

ただ本音では他の人に仕事を任せてしまうのは内心イヤなそうで、出来ることなら全ての作業を自分自身で納得のいくようにやりたいという、米栽培の求道者的な感じがします。

角保さんは道免さんよりお若い方ですが、JAにお勤めなので米栽培に関してはお手のもの。八反草に取り組み始めたときからお世話になっています。
 稲を育む命の水
香六ダムお米作りに重要なものとしまして”水”を忘れるわけにはまいりません。

この高宮町の酒米栽培地域は中国山地の標高の高いところにあります。水源となっている『香六ダム』は、ダムより高いところに人が住んでいない湖で、川魚がたくさん泳ぐ大変きれいな水質。田んぼに至るまでの川や用水路でも魚やアメンボ、亀、その他の水棲生物がたくさん見られます。

都会ではなかなか味わうことのない風景ですので、田んぼを見に行くという用事がなくともドライブに出かけたくなりますね。

他にも『たかみや湯の森』という温泉は「酒風呂」!もある天然ラドン温泉ですし、隣の美土里町と並んで神楽も盛んなところです。安芸高田インターチェンジがありますので交通の便もよいですし、一度ドライブで足を向けてみられてはいかがでしょうか。

安芸高田市ホームページ
高宮湯の森ホームページ